プロフィール


吉江一郎 立命館大学部落問題研究会に所属していた。



■私の代表作(仏像彫刻)
■性別:男性
■血液型:B型らしい
■住所:大阪
■趣味:仏像彫刻
■好きなこと:読書 映画 家庭菜園
        ★最近一番感動したのは、葉室麟の『蜩ノ記』(ひぐらしのき)
          小説も映画もよかった。 
        ★アンソニー・ホプキンス主演 世界最速のインディアン
          (11月2日CSで見た・・とても良い映画だった。)
■マイブーム:従軍慰安婦問題の再検討(被害者と加害者の二分化論と朝田氏が唱えた差別す
  る者と差別される者との関連の解明)

                                 平成26(2014)年11月3日
編集後記
 立命館闘争1969年を今更なぜ書いたのか、それはひょんなことから鈴木元さん著作の「激変」(ウィンかもがわ」を手に入れたことから始まる。その本には、鈴木元氏がモンゴル支援に入っている事と、奥さんの介護の話が綴られていた。
  私は学生時代、百万遍の学生会館(?)の鈴木元さんの部屋で、鈴木元氏と奥さんがツーショットで我々十数人に話をされた記憶がある。この会議の趣旨が何であったのか全く覚えていないが私にとっては、鈴木元氏の「彼女紹介」というイメージだけが残っている。(鬼のように怖かった鈴木元氏が笑顔で話された姿を初めて見たので印象に残っている。)
 本文で紹介した鈴木元氏のイメージ、「いつも歯ブラシをズボンのポケットに入れている」という話もこの時に聞いた記憶がある。
 鈴木元さんの本を読んで見たが、彼のバイタリティー溢れる行動には感心したが、何か視点が違う気がした。それは「モンゴルで大臣に会った」、「表彰をしてもらった」などの話が書かれているが、モンゴルの住民の視点からのレポートがなかった。かれの訪問をモンゴルの住民がどう受け止めているのか、その人たちの要求がどこにあるのかなどの視点が弱かった。
 その後、鈴木元さんをもっと知りたくなって、インターネットや鈴木元氏の「立命館の再生を願って」を読んで、学生時代の鈴木元さんは既に大きく変質していることに気づいた。どのような生き方をしようと自由である。私はそのことを否定しない。しかし鈴木元さんは立命館の学園闘争を全て現在の自分の立場から総括している。これはあの当時闘った多くの仲間の気持ちを踏みにじるものであり、許せないと思いこれを書いた。
 立命館学園闘争をいろいろ検索していて、私も所属した部落問題研究会の高野悦子さんの二十歳の原点が、世間で相当注目されていることも知った。多くの人が、高野悦子さんについて語っていることも判った。その中には、彼女の自殺の原因が「『部落研=民青』が殺した」というような批判をしている人がいるのも知った。
 そこで、同時期(1年先輩であるが)に部落研に在籍したものとして、無責任な批判に対する反論の必要性を感じ、高野悦子さんの部落研での姿やそれ以降の生き方を彼女の日記をとおして説明し、彼女が何を考え行動したかをできるだけ明らかにしたつもりである。
 我々にも弱さがあった。しかし彼女にも弱さがあった。その辺をできるだけ客観的に述べる努力をした。これは「部落研=民青」が殺したという無責任な批判に対する回答でもある。
 既に時間が相当経過し(40年以上前)私も68歳になり、記憶ちがいや、一面的評価で不十分な所があるかも解らない。この文書を出すことによって傷つく人もいるかも知れない、しかし、私は無責任な高野悦子論や学生運動を捻じ曲げた鈴木元さんの主張は許せない。
 誰もが批判せず、むしろ鈴木元氏の出版記念パーティーには、穀田恵二氏をはじめ多くの昔の仲間や、民主団体の人が集まると聞いている。インターネットでも私の一年後輩の活動仲間が集まる掲示板があるが、鈴木元氏の本が、京都の書店で芥川賞作家の本より売れているとはしゃいでいるサイトがある。
 どうしてこの鈴木元氏の本のおかしさが判らないのか、黙っていられなくなり今回全面的な反論を書いた。すでに昨年の10月に書き上げていたが、その後昔の仲間に見せて共同で出そうと呼びかけてきたが、結局は同意を得られず、1年が経過してしまった。
 この文書のひとつの主題、立命館大学の新しい校舎の建設は、「茨木市がいいのか京都がいいのか」はすでに決着がついており(茨木で建設中)記事が時代遅れになったが、今年6月に出された鈴木元さんの「続立命館の再生を願って」もまだこの議論が多くを占めている(私は読んでいないが、読んだ人から聞いた話では)必ずしも時代遅れでは無いと思い、このまま発表することにした。
 できるだけ多くの方に、我々の青春をかけて闘った「立命館闘争1969」とは何であったのかを知って頂ければ幸いである。