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  平成26(2014)年10月吉日
             
はじめに

立命館大学闘争を飾った二人(高野悦子さんと鈴木元氏)

  高野悦子さん

  鈴木元氏
 
  なぜ高野悦さんを取り上げたのか                   

第1部:高野悦子さん
 第一章 高野悦子さんと「部落研」活動

  はじめに(大雑把な概要)

  1.立命館「部落研」に入部(67年5月10日)

  2.高野悦子さんの印象(世間の手垢に染まっていない純真・無垢で自己主張
    が苦手な人)

  3、当時の「部落研」は活動家集団(立命館のサークル中で最も実践的戦闘集団)

  4.「部落研」退部の決意(68年1月10日)〜退部を申し出(4月13日)
 
  5.ワンダーフォーゲル部入部(68年4月24日)この決定が最悪の事態へ
      
 第二章 立命館「部落研」での高野悦子さんの活動

  1.高野悦子さんと現代社会の矛盾、日本史専攻と「部落研」
 
  2.立命館大学に入学するにあたっての彼女の決意
 
  3.部落解放同盟(京都府連)の分裂と立命館大学への波及
 
  4.「部落研」の会員として成長した姿が見える(高野悦子さん) 
  
  5.活動に確信がもてず徐々に混乱に陥っていく(高野悦子さん)
 
  6.「部落研」退部決意後、またまた自殺願望がもたげ、『青春の墓標』へ逃げ込む

  7.二十歳の原点「解説者達」の「部落研=民青」悪玉論の誤り
  
 第三章 高野悦子さんは、「部落研」で自己変革を成し得なかった

  1.一つ目は、その当時の情勢が複雑であった。
 
   (1)部落解放同盟京都府連が分裂
 
   (2)学園民主化を願う学生は、学校当局の無責任さと闘った。
 
   (3)学生運動では、「部落解放同盟」の介入に反対し、学校当局の姿勢を正
     そうとした者が勝利した

   (4)この状況を高野悦子さんはどう捉えていたか

 2.二つ目は、彼女自身の問題(自殺願望と生活態度のプチブル性)
 
  『自殺願望』
   (1)二十歳の原点三部作を貫く思想は自殺願望
 
   (2)「仲間」とか、「連帯感」とか、「団結」という言葉が現れない。
 
  (3)彼女の自殺は『青春の墓標』をなぞらえたものではないか?

  『生活基盤の違い』
   (1)革命家を目指すためにはプチブル性の克服が大きな課題であった。

   (2)プチブル性の克服は彼女にはできなかった。

  『恋愛観』
   (1)革命と愛を求めたが、お互いに高め合う思想が無く破綻した。 
 
    <彼女の恋愛観の変化>

    <この頃から、「男を求める恋愛観」に変節>

 3.三つ目は、当時の「部落研」の活動の弱点
 
   (1)「部落研」サークルの中で仲間を作らなかった
 
   (2)彼女はなぜ「部落研」をやめたのか

     <気になるのは、日記が三つある>
   
   (3)彼女の子供に対する見方は間違っているのか?
 
   (4)1967年11月23日以降1月10日(「部落研」退部決意)の間での彼女の心の揺れ。

第四章 当時の部落問題に取り組む運動の混乱と限界
  <はじめに>
 
  1.活動の中心は「差別の実態から学ぶ」であった
 
  2.住田一郎氏の問題提起に学ぶ
   (1)住田一郎氏の問題提起「共に育ち学び合う」

   (2)「地域の実態から学ぶ」は、随伴者の域を出ない。
 
  3.高野悦子さんが育たなかったのは
 
  
  4.部落大衆の「立場絶対化」・・・「優位性の確認」は間違っている(住田氏)
 
第五章 「部落研」退部後の高野悦子さん

  1.「部落研」をやめる決意前後とワンゲル入部(ここで大きな事件が起こった。)

  2.大学での唯一の友人牧野さんの存在
   (1)下宿を牧野さんと同じ下宿に(心機一転、二回生への新たな決意)
 
   (2)牧野さんのいた下宿を離れる決意を行う

  3.ワンゲル時代の彼女の行動
   (1)2回生の高野悦子(ワンゲル活動が楽しかった時期


   (2)ワンゲル活動に疑問を感じ始める。(学生運動との関連で)


   (3)「小林との関係」が発生・・彼女の人生観を変える事件


  4.高野悦子さんの精神的堕落は、「小林との関係」によるところが大きい
 
  5.プチブル的思考から「全共闘運動」へ
   (1)美しく着飾った婦人に嫉妬
 
   (2)優越意識と劣等感

   (3)「全共闘運動」に関わる基本的スタンス

 第六章 高野悦子さんは鉄道自殺で自らの命をたった
 
  1.「革命」・「全共闘」に対する失望 

  2.彼女のプチブル性(金銭感覚)

  3.彼女が「全共闘」の一員として本格的に活動に参加する決意
  
  4.「全共闘」と決別(6月16日9・50AM 日記)
 
  5.革命(「全共闘運動」)と恋愛

   (1)彼女の自殺は、「革命」と「恋」に破れたことが原因と思われる。
 
   (2)1969年6月16日は、彼女の「全共闘運動」の終焉の日である。
  
  6.「6月17日以降、6月22日(日記最終日)まで」は、中村一色の日記になる。
 
  7.彼女は最終日を意識してあらかじめ身辺整理を行っていた節がある。
 
  8.中村の裏切り(?)が分かってからの心の変化(自殺へ向かって)
 
  9.彼女は中村にアナーキズムの本を手渡そうとした。これは何故か?
  
  10.自殺前夜の彼女の醜態
 
  11.「かかとの高い靴」と「黒の手帳」(アナーキズムの本)
 
  12.「かかとの高い靴」は、何とも言えない悲しさを覚えた。
 
最後に

  1.『荒野のおおかみ』が高野悦子さんの生き方に最も大きな影響を与えた。
 
  2.彼女は何を間違ったのか?
 
  3.彼女は革命とは無縁な存在・・彼女が実践したのは革命ごっこでしかない
 
  4.『荒野のおおかみ』『青春の墓標』から抜け出せなかった。

  5.なぜ、今頃高野悦子を取り上げたのか
 
  6.当時の学生運動(部落研)は、彼女を救える理論的な深みがなかった
                                ―90−


第二部:「立命館の再生を願って」は一体何を狙っているのか?


<はじめに>

                                   

1.「鈴木元氏のウソとホント」というサイトおよび「考える会」に出会って


(1)「ウソとホント」サイトは、第1号では以下のような記述がある。

 
(2)「考える会」


第一章 川本八郎氏と大学改革


1.「立命館中興の祖」か、「立命館を壊した男」か?


(1)末川博総長との比較において


(2)学校運営の「成功の可否」は何をもって語るべきか


(3)末川博総長の功績(末川民主主義)を否定する「川本哲学」とは何か


2.川本八郎氏を支えた二人の男・・・産学共同路線を突っ走る


(1)小畑力人氏(学友会委員長)


(2)鈴木元(立命館大学の学生運動の最高指導者

 

(3)この二人の役割


3.なぜ川本八郎氏は理事長まで上り詰めたのか、そのカギは学園紛争にある


(1)「部落解放同盟」と「全共闘」の蛮行が川本八郎理事長を誕生させた


(2)川本八郎氏を支えた第三の男・・ここにもう一人に秘密の人物がいた


(3)朝田理論を批判した「部落研」の指導者「H」氏の実力。


4.川本八郎理事長の「ヘッドハンティング」と出世街道


(1)役に立つ職制は鈴木元氏しかいない


(2)鈴木元氏と小畑力人氏の違い・・採用された時期の違い


5.川本八郎理事長が鈴木元氏を、なぜヘッドハンティングした?


(1)川本八郎氏が鈴木元氏に求めたもの


(2)考えられるのは、以下の四つのストーリーである


★第一の説:川本八郎氏の権力掌握の正当性の歴史を作る


★第二の説:立命館の内外に起こる反対者(共産党の支持者)の抑え込みを期待した。


★第三の説:立命館の存亡の危機を救った功労者として特別に処遇した。


★第四の説:学内での権力関係に配慮し、川本八郎王国の基盤を固めるため


参考:川本八郎氏が成し遂げた立命館改革(立命館大学のHPから)


◆第3次長期計画(1984〜1990)

◆第4次長期計画(1991〜1995)

◆第5次長期計画(1996〜2000)

◆2001年〜2004年度

◆2005年〜2010年度

第二章 鈴木元氏の川本独裁体制への役割


はじめに


立命館民主主義の破壊の為に彼がやったこと。


1.なぜ鈴木元氏は「川本八郎氏と二人で命をかけて闘った」と主張するのか?


(「再生」9ページ等)



(1)鈴木元氏の出自の正当性の表明(川本八郎氏と同格と主張)

                                   ―123−

(2)「考える会」は、鈴木元氏の「活躍」を「暗躍」と捉えている。


(3)「命をかけて闘った」は、鈴木元氏にとっては「黄門の印籠」と同じ


2.川本八郎独裁体制を支えた四つのキーワード(鈴木元氏が行った事)


★第一は、大学闘争を「民主化」ではなく「正常化」闘争と捉えたこと。

★第二は、末川民主主義の否定を行ったこと。

★第三は、川本八郎氏が「立命館中興の祖」という正史を書き換えこと。

★第四は、全学協働路線を破壊させたこと。

第一の、「キーワード」


 鈴木元氏の大学闘争論(「民主化」でなく「正常化」が課題)の問題点、


第二のキーワード


  「東上問題」で末川博総長を朝田氏の手先と描き出したこと


(1)東上問題は、朝田善之助氏と末川博氏が示し合わせた事件(鈴木氏)

(2)上記@、Aの文書に対する反論(鈴木元氏の末川博総長批判の問題点!)


第三のキーワードは


 川本八郎氏が「立命館中興の祖」というように正史を書き換えた事


(1)今日の立命館があるのは貴方の役割が大きい


(2)川本八郎独裁体制を作った男


第四のキーワードは、


 全学協働路線を破壊したこと


(1)全学協議会制度を批判し、川本八郎独裁体制を支えた男


   @ 立命館民主主義の基本である全学協働路線を否定し始めた

   A 全学協働路線は時代遅れ、学部指導部でなければ、改革案は提起でき


(2)「四天王」の話はよく出てくるが、学生や教職員の動きは出てこない。


3.以上の4つのキーワードから見えてくるのは?


(1)川本八郎氏の独裁思考は1966年からor2005年から


(2)学生の存在を中心に据えない再生論は、何ら意味をなさない。


第三章 川本八郎氏と鈴木元氏の大学改悪における功罪


1.川本八郎前理事長の実績は「功罪相半ばする」のか?


(1)川本八郎前理事長の「功」と「罪」・・鈴木元氏の主張


2.川本八郎氏は堕落したが、鈴木元氏は立命館民主主義の旗手か?


     =川本八郎への批判は、鈴木元氏自身の責任回避のため=


(1)混乱の原因は一時金のカットと高額な慰労金


(2)鈴木元氏の反乱の時期は、川本八郎前理事長が相談役に退いた後


(3)鈴木元氏の自己弁護と反撃


3.川本八郎前理事長の「罪」の部分のさらなる検証


(1)一時金問題


(2)慰労金問題


(3)鈴木元氏は川本八郎前理事長の「罪」を暴き、なぜ批判し始めたのか


4.立命館学園を混乱に陥れたものは誰か


(1)清算主義に迎合したのは誰か、


(2)成果を急ぎすぎたのは誰か

 
「評価主義」の導入が不団結を招いた!
 
(3)「参加・参画」は民主化のためでなく、人気取りのためのスローガン

(4)森島常務が主導した中途採用者を批判(採用と処遇の不明朗さ)

 

 (5)われわれの寄って立つ基盤は、川本八郎氏の成し遂げた立命館改革 


    (川本八郎氏の神格化)


 (6)2006〜2008年に出された各種決議の重要性を無視(川本氏・鈴木氏)

     
5.鈴木元氏の傲慢さがわかる語り口調

6、この当時の状況を表すものとしてマスコミは立命館大学をどう伝えている


7.貴方が立命館大学でやったことは、「赤化」か「白化=赤色を抜く」OR「黒化」

   

   この回答が問われているのだ!


8.株式会社立命館と言われる超金儲け主義の大学へ変質(インターネット上での批判)





                                      ー148−

第三部:民主主義運動の前進と学生運動

 

第一章 鈴木元氏の学生運動論


はじめに




1.鈴木元氏の大学闘争の理論の根幹は何であったのかこの検証が大切

 
(1)鈴木元氏の思想性を読み解く「キーワード」

 【「再生を願って」では】

 【「写真集」では】

【「同和行政批判」では】

(2)鈴木元氏が書かなかった「キーワード」に彼の本質が見えて来る。


 【「再生を願って」で】(本来書くべき「キーワード」は)

【「写真集」で】(本来書くべき「キーワード」は)

 【「同和行政批判」で】(書くべき「キーワード」は)

(3)立命館大学紛争の概要と背景


2.立命館闘争の総括で鈴木元氏が重視したキーワードは何か


(1)鈴木元氏の学生運動論の根幹は「大学に協力して」?


@「大学」という抽象的概念は、何を指すのか?

A 鈴木元氏の「大学に協力して」の実態は?


B 「大学」は学生も含む概念か

C闘いに参加した学生の思いは「大学に協力して」が主流であった。


D 仲間が存在しない鈴木元氏の学生運動論


(2)川本八郎氏と鈴木元氏は、どのような共闘関係であったのか?

 

(3)学園の「正常化」を勝ち取った。「正常化」とは何を指すのか?


     =この発想は、東大総長代行と自分の考えは同じと自慢=

 
@朝田理論からの脱却は早い段階で取り組まれた(立命館)
 
 【立命館大学のしたたかさ】 

A学内改革は、末川民主主義の否定の上での立命館の再生を行おうとした



3.鈴木元氏の見失った視点は何か!


(1) 学生の要求は前進したのか


(2)平和と民主主義は前進したのか


(3) 大学の自治は前進したのか


(4)学校運営の主役は「学生や教職員」これが末川民主主義


(5)民主主義運動全体の中で総括していない



4.「写真集」小原輝三氏の写真、鈴木元氏「解説」への疑問


 【写真の迫力について】

 【鈴木氏の解説について】

(1)立命館大学に学ぶ学生の要求は何であったのか


(2)我々が戦った相手(敵)は誰であったのか


(3)鈴木元氏の総括に「政治的課題」を全く欠落させた総括にも疑問を感じる


(4)やはり鈴木元氏は、警察の導入を第一義的に考えていた。

   

(5)当時の学友会執行部の実態(堕落)を描いている。

 

5.立命館大学の学園闘争の総括の視点は何か


(1)立命館民主主義を暴力で破壊した「全共闘」と闘うには、暴力でなく、全


立命人が団結して、既存の「立命館民主主義」を守ることで跳ね返すべきで


あった。


(2)立命館民主主義は機能していなかったのか(そうではなく、理解できなかった)


(3)川本八郎氏と鈴木元氏の共闘(命をかけた闘いの)接着剤は何か。



6.宮崎学氏の「突破者」の比較から見えてくるもの


(1)機動隊の活用で「学園の正常化」は汚点が残る


(2)大学の自治を守れは「犯罪者容認の理論」(鈴木元氏)

 

7.鈴木元氏の学生運動論を当時の情勢との関連で批判


(1)国家権力は日本の民主勢力の中での「部落解放運動」をどう見ていたのか


(2) 革新自治体つぶし(統一戦線破壊)と「部落解放同盟」の役割


(3) 立命館大学の学生運動の意義


<6・13立命館闘争勝利大報告集会! 立命大全学共闘会議>



第二章 京都の民主勢力と「部落解放同盟」


はじめに

 

1.「部落解放同盟」は京都でどのような役割を果たしたのか


(1)鈴木元氏の「同和行政批判」の原稿執筆時期と出版の経緯


(2)「同和行政批判」の主張は全面的に賛成であるが、疑問が残る。


 =立命館大学に対する「部落解放同盟」の攻撃が語られていない=


(3)立命館大学は、「部落解放同盟」の糾弾闘争とどう立ち向かったか


@立命館100年史の編纂について(「部落研」の主張等が削除されている)

A産業社会学部の奥田教授は、「我々の『見解』こそが正しかった。」


(4)「部落解放同盟」の京都の民主勢力の中での位置づけ


(5)権力の手先となり民主勢力の分断に果たした「部落解放同


盟」の役割(ここでは、その内容を年表形式で説明する。)


(6)この辺の情勢(経過)を鈴木元氏はどのように語っているか


2.朝田理論がもたらした数々の罪悪(補論)


はじめに


(1)民主勢力の中での朝田氏の主張の位置づけ・・・旧社会党の弱点


=朝田氏と真っ向から戦わなかった末川博先生は、朝田氏と通じていた?=


(2)セクハラ議論と朝田理論

 

(3)末川博先生の弱点はあの当時の民主勢力全体が持っていた弱


点を共有していたにすぎない。


(4)朝田理論の差別論を行政などが克服できるようになったのは


(5)同和行政の見直しが多くの市町村で始まっている。


(6)なぜ朝田理論の克服に40年もの時間を必要としたか[1]


(7)なぜ朝田理論の克服に40年もの時間を必要としたか[2]


(8)朝田理論克服の動き(「部落解放同盟」の周辺から)


最後に鈴木元氏に送る言葉


1.黙って「立命館の再生」から手を引くべきです

       

2.「再生を願って」の欠陥は・・・鈴木元氏以外はすべて馬鹿という人物評価

 

3.立命館の混乱の原因はどこにあるのか・・「お金本位主義」にかぶれた事


4.立命館が再生できるカギは何か・・「お金本位主義」から「学生本位主義」に戻ることです。