資料集13



     ニュース11号 「中途退職した私の思い」
                                 2008年7月9日発行

@「議論した70年代、本音を求める80年代末」と言う見出しで、
(前略)よく議論したものだと思う。教職員組合と理事会との「業協」それに学友会、院生協議会が加わった全学協議会は、それぞれのパートがそれぞれの立場から熱の籠った意見を陳述し、議論を闘わせる場だった(一種、知の格闘技的なところもあったか)。
 しかし、だんだん、職場においても率直な議論ができにくくなってきて、87年度の組合のモットーはたしか「ホンネの組合」ということだった。私は80年代前半、臨調第三次答申が ことから、すでに立命館は時流に乗ろうとしていたと感じるようになっていたが、それが80年代後半頃からはしだいに流れに棹さし始め90年代後半くらいから強力なエンジンにつけかえて驀走・暴走しはじめたということではないのかと思う(注1)
 「危機意識がない」「立ち止まって考えるべきという意見は間違いだ」と教職員は常に叱咤された。
 95年ごろから政府の規制緩和推進策に乗って立命の職場でも「多様な雇用形態」の活用と称して、契約、派遣などの職員がどっと増えた。その前には、「選択定年制」が提起され、組合もほとんど問題とされることなく制度化されていた。一方ではすでに、予備校、銀行、他業種からの中途採用者(注2)が普通のことになり、その中には温情での恣意的に採用されたと思われている職員もいると聞く。(中略)
 多様な雇用形態で採用されてくる人、入れ替わり。これで構成員が心を通わせて働く職場集団がどうしてできるでしょうか。加えて、職員にも評価制度が導入されるという。これはもう、職場の人間関係の分断・破壊ではないか。立命館の誇るべき「教職協働」どころか各事務職の人間的な集団がこわされていってないか。

注1:これは鈴木元氏を指していると思われる。彼女の評価は、「強力なエンジンにつけかえて驀走・暴走しはじめた」である。川本独裁体制を作った張本人という指摘だと思われる。

注2:ここでの予備校出身者は小畑力人氏を指していると思われる。その他銀行及び他業種と言うのは、私には分からないが、他業種は共産党の専従職員とは言いにくいのでその表現をしているのかも知れない。

A「これが民主主義か」という見出しを掲げ
 私は立命館を辞めるとき(99年退職)、ほんとうに「これが民主主義か」と誰よりも現相談役(川本前理事長)に質したかった。あれだけ、暴力的な言葉使いでもって教職員にあたってきたその彼は、口を開けば「暴力反対」を唱えた。「学生を大事に」といった。自分のことは見えていなかったのだろうか。裸の王様のように。「強力なリーダー」は、放漫ぶりも個性と認められるのか。その彼がやっとやめるとき、退職慰労金を倍額して1億2千万円を受け取った。(後略)