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はじめに  




 ほぼ完成しつつある立命館大学 大阪 茨木キャンパス(15年4月開校)

立命館学園闘争を闘った二人の有名人
          (高野悦子さん・鈴木元氏)
   
   この二人の闘いを振り返り、
        立命館学園闘争とはなんであったのかに迫る。


 この文書は、「立命館大学の学園闘争」(1966〜1969)について、立命館部落問題研究会に在籍していた私(吉江)が体験したことに基づき、あの闘争は「何だったのか」を二人の有名人(高野悦子さん・鈴木元氏)を通して真実に迫ろうというものです。

◎第一部では高野悦子さん(二十歳の原点の著者)

  彼女は立命館大学入学とほぼ同時に部落問題研究会に入り、一年間活動に没頭するが、疑問を抱き退部する。2回生はワンゲル部に所属するが、ここでも行き詰まり、2回生の終から三回生には、全共闘運動に参加していく。しかし恋と活動に破れ、三回生の6月に鉄道自殺する。
 彼女が書き綴った日記(二十歳の原点)は350万部売れたベストセラーでありこの日記を読み解く中で、彼女が何を考え闘っていたのか、どうして生き抜く事ができなかったのかを、当時の学園闘争の問題点や「部落研」活動の問題点とも関連して見ていきたい。

◎第二部は鈴木元さん(立命館学園闘争の実質的トップ)

  最近出版された「立命館の再生を願って」を読み解く中で、鈴木元氏の現在の立場(52歳で川本八郎理事長の懐刀として立命館に就職)からあの紛争を自分中心に総括されていることを実証し、この本は当時の学生運動を正確に総括したものではなく、鈴木元氏の出世の合理化に学生運動が語られるという大きな弱点を有していることを描き出している。
 この本を批判的に見ることで当時の学生運動の大義は何であったのか、立命館大学が誇リえる価値とは何かに迫っている。

◎第三部では、民主主義運動の前進と学生運動
   当時鈴木元氏が指導した学友会の方針の批判的検討

  学友会は「民主派」の名に相応しい闘いを組織していたのか? 当時の学友会指導部の問題意識や、今日の時点から見た問題点などを指摘しています。

読んでいただくに当たっての注意点
  相当長文(全文でA4換算で約230ページ位あります)ですので、読んでいただく方はどのように読めば良いのか、まず説明します。
 最初から最後まで読んでやろうと思われる方は、下記の「1.全部を読む」から入って下さい。
 次に、第一部「高野悦子」だけを読む、あるいは第二部「鈴木元氏」だけを読む思われる方は、「第一部を読む」あるいは「第二部を読む」から入って下さい。
  全体の中で興味のあるとこだけ読んでみたい方は、「見出し一覧」に入り、見たいと思われる項目を探してアクセスしてください。


1.全文を読む
   文書が長いため、第一部、第二部、第三部に区切っています。面倒で
 すが、順次クリックして見てください。文書は長いので、プリントアウ
 トされることは気をつけてください。
 
2.第一部・第二部とか限定で読む。(ここから読まれることがおすすめ
  です)
   ・第一部 高野悦子さん
   ・第二部 鈴木元氏
   ・第三部 学生運動論
   ・資料編
 
3.興味のある見出しがあれば読む
    「見出し一覧」に入り、読んでみたい項目を探す。
    (見出し一覧は、すべての見出しと、第一部第二部第三部
    分割された見出しがあります。
     それぞれ約80項目前後あります。)


  大学紛争自体が相当前のことであり、記憶も曖昧になっており、事実関係において間違っていることがあるかもしれません。お気づきの点がありましたら、ご指摘をお願いします。
 また感想や、批判等がありましたら、読者欄に投稿をお願いします。
                                            
                      2014年11月3日

              1966年〜1969年 立命館大学法学部に在籍
                部落問題研究会会員        吉江 一郎