質問に答える。


質問に答える。NO.1
12月07日(水) 21時26分00秒 “ 助さん”
以下をお教えください。

吉江様

 浅学のため、以下をお教えください。

貴殿の記述に、

「立命館の矛盾は、他の私大に追いつき追い越せと産学共同路線で無理をしすぎたところに原因があるとみています。大学運営を、「経営=利益」に変えてしまったことが、混乱の原因だと思います」

 とありますが、

質問1.なぜ立命館は産学共同路線、経営=利益に舵をきったので
     すか?

質問2. なぜ立命館(学内民主主義勢力)は、産学共同路線、経営
   =利益に舵をきった段階で反対声明を出さなかった(出せなか
   った)のすか?

平成28(2016)年12月16日

 ご質問ありがとうございます。
 
 私の書いた「立命館大学の学園闘争1966〜1969年」は、鈴木元氏が書いた「立命館の再生を願って」を読んで、「これは違う」という思いから書いたものです。
 立命館在学中の私の立場は学生運動の中心的指導者でもなく、共産党の幹部でもなく、ただ部落問題研究会の一会員として学園闘争に参加していました。  
 その際私が経験したこと見聞きしてきた事から、鈴木元氏の現在の言動は許せないという立場から書いています。そういう意味で立命館の学生運動の動きや、その後の立命館の産学共同路線への傾斜をつぶさに体験してきた者ではありません。その点不十分な点もあると思いますが、質問に対して私がどのように考えているか書いてみます。

私が入学したころの立命館大学
 私が入学したころの立命館大学は、大学というにはあまりにも貧弱でした。広小路学園学舎は、余りにも手狭で、大学と言えるような環境はありませんでした。多くの学生は、近くに御所や喫茶点があっため、そこで時間を費やしていました。
 授業も、大クラス講義が中心で小クラス授業は、語学等週3〜4時間しかありませんでした。大クラスでの講義は、700人以上入るような教室で先生が自分の出版物をテキストにして講義するような状態でした。(確かに授業料はずば抜けて安く我々貧乏人にはありがたい大学でしたが・・・・。)
 このような大学ではダメだ、もっと学生たちに真剣に勉強できる環境を作ろうという思いは学生にも教師にもあったと思います。それが学生運動を支えている力でもあったと思います。

学生にとって魅力のある大学目指す。
 立命館大学の近代化は、他の関西の大学に負けない教育環境の充実を目指すことがその根底にあったと思います。
 しかし、立命館大学が誇りえたのは、「平和と民主主義」という教学理念にあったのでであって、学校の建物の立派さや設備面の充実にあったのではないのに、改革の方向性を間違い、「建物や設備を立派にし、他の関西の大学と戦う思考」に代わっていきます。

立命館大学の改革路線が「経営=利益」優先に変質した三つの要因


@【権力掌握がクーデターのような形で行われた】

 当時大学職員であった川本八郎元総長は、「部落解放同盟」の大学介入や「全共闘の蛮行」に際して、従来の大学当局が全く無力であったため、鈴木元氏が主導する学友会と結託し、全共闘一派(教授陣も含む)を学内から放逐し、学内での彼の政治的位置を確保したことが大きかったと思われます。
 川本八郎元総長は、学内での出世を、学園闘争戦った人達を上手く利用しながら、達成していきます。その代表例が現在共産党の議員である穀田啓二氏や小畑力人(学友会委員長)、鈴木元(立命館大学の共産党のボス:総長理事長室長)や、部落解放同盟京都府連(三木委員長)の息子さんたちです。
 川本八郎元総長がやったことは、自分の周りの人材を共産党員で固め、平和と民主主義という教学理念を引き継ぐように見せながら、実は「社会と歴史が要請する現実的課題に応えられない大学もだめ」と、末川民主主義を否定し、関西の有名私大に負けない時代に即した大学作りを推し進めました。
 その最大の成果物が大分県別府市に開講した立命館アジア太平洋大学(Asia・Pacific・University)(略してAPU)だと思われます。(注1)
 この大学(APU)は安倍首相も訪問し理想手的な大学だとほめたたえている。(注2)

 周りに共産党員を集めたのは、こうした流れに対する学内外の批判を封じ込めるためです。反対勢力がどこにも存在しない(学生にも教職員にも)独裁体制を作り上げて行ったと思われます。
注1:川本八郎元総長の考え方(本文08ページに以下のよう書い
  た)

  (3)末川博総長の功績(末川民主主義)を否定する「川本哲
  学」とは何か川本八郎氏は明らかに「末川民主主義」に疑念を抱
  いていた。そのことを表すものとして、2002年4月3日 産経新
  聞夕刊「立命研究3」(皆川豪志)の評価、および日本経済新聞
  (2003年5月25日)大学改革 ―国立大は民営化せよ問われる「創
  造性」―での川本八郎理事長の発言から探ってみる。
   この産経新聞は、「立命館研究」という特集記事(皆川豪志)
  を連載している。私が確認できている範囲では27号まであり相当
  大掛かりの連載である。その第3号に、「−総長は投手、理事長
  は捕手−」という記事があるが、その書き出しで「立命館は「平
  和と民主主義」を教学理念に掲げている。終戦直後の大学を立て
  直し、四半世紀近くの総長を務めた末川博(故人)が打ち出した、
  戦後立命館の原点ともいえる言葉である。
    「大学の自治意識」に根底から異議を唱えた理事長、川本八郎
  (67:年齢は2003年時)の改革路線は、こうした伝統的な理念と
  どう折り合いをつけていったのか。」と書いている。(参照:資
  料3)
   川本八郎氏の改革が、末川民主主義(末川博総長は、「平和と
  民主主義」を大切にし、滝川事件の反省から「大学の自治を守
  る」ことを大切にしていた。)を根底から異議を唱えたと評価し
  ている。
   さらに日本経済新聞の記事(立命館理事長 川本八郎- 大学改革
  国立大は民営化せよ 問われる「創造性」日本経済新聞 2003
  年(平成15年)5月25日(日曜日)「真説 異説」)では、川本
  八郎理事長が縦横無尽に語っているが、「権力と迎合せず」とい
  う最後のセンテンスで、「時の権力に迎合する大学はだめです。
   しかし、社会と歴史が要請する現実的課題に応えられない大学
  もだめ。両面を持つのが大学の良心です。戦争中は戦争になび
  き、戦後になった途端に現実社会を見ずに国家権力になびいたこ
  とだけを反省し、『あつものに懲りてなますを吹き続けていたの
  が従来の大学の姿です』」と語っています。
    これは明らかに「末川民主主義」を揶揄し否定している。産学
  協同路線こそが、社会と歴史が要請する大学だと主張している。

注2:2013年5月18日(土)、安倍 晋三首相がAPUを訪問、学生寮「AP
  ハウス」で学生ら数名と懇談されました。安倍首相は17日発表の
  成長戦略第2弾スピーチの中で、世界に勝てる大学改革、とりわけ
  大学のグローバル化の必要性に触れられ、翌日、グローバル 教育
  に取り組む一つの事例として、世界中から学生や教員が集まるAPU
  を訪問されました。(2013/5/21APU)

 間違った「舵を切った」の第一のカギ(末川民主主義をを否定する川本哲学)にあったと思っています。

A【学友会は大学民主化の方向性を確立していなかった】

 立命館大学の学生運動には、「全共闘」の大学解体路線から如何に大学を守るかに中心的課題が据えられており、大学の民主化の課題が十分議論されずその方向性を持っていなかった弱点が、間違った「舵をきった」第2の原因だと考えています。(鈴木元氏の「立命館の再生を願って」、「立命館大学紛争の五ヵ月1969」(「写真」小原 輝三、「文」鈴木 元(以下「写真集」という)のどこにもその当時の学園闘争の課題が出てきません。
 上記「写真集」83Pに「さらなる民主化」ではなく「学園正常化」が課題にという項目があるが、学友会は「民主化」でなく「学園正常化」を愁眉の課題としていた。その中身は「入試防衛・実施」であった。
 いまこの文書を書いていて初めて気が付いたのだがこの「写真集」の表題が「大学闘争」でなく「大学紛争」である。単なる全共闘との武力的戦いをメインにしており、学園の民主化を如何に勝ち取るかは、遠い世界においておかれたのでは思っている。

B【共産党の学生運動に対する大きな方針転向があった】

 日本共産党はこの当時「新日和見主義」批判を行い、現在までの学生運動をある意味では否定し、学生の本文は勉学にあり、勉学をせずに活動一辺倒という従来のスタイルを完全に否定しています。
 日本共産党としても、立命館大学を文字通り日本有数の私立大学に仕立て上げ、その上で指導力を発揮することを考えていたと思います。学内の党員も多くは、立命館大学を近代化し、学生たちが入りたい大学(近代化した綺麗な大学)へと変えていくという川本元総長路線を支持し、川本元総長はその支持を上手く利用し、私利私欲に走った。これを支えたのが、かつての学園闘争の闘士であった小畑氏、鈴木元氏などと思われます。
 共産党京都府委員会は、川本元総長や小畑氏や鈴木元氏の暴走に気付きながら、それに対して有力な手立てが打てず、あれよあれよと言っているうちに、立命館は学生が主人公であったはずなのに、学生不在の経営理念優先の大学へと変身していったと見ています。
 私が書いたのは、立命館大学が国の推し進める大学改革を積極的に受け入れ、最も国民から遠い営利集団化した立命館学園の姿です。しかも、その推進の中心がすべて元学生運動の中心舞台で活動していた人達の不思議さです。
 そして盗人猛々しいというように、「これだけの内部留保金(1千億円)がたまった、これらは我々の功績だからその利益を受ける権利があると公然と主張している(「立命館の再生を願って(155p)」で)彼らの馬鹿げた姿を浮かびあげさせたかったのです。


質問2. なぜ立命館(学内民主主義勢力)は、産学共同路線、経
    営=利益に舵をきった段階で反対声明を出さなかった(出
    せなかった)のすか?

 この件についても大きな疑問が残りますが、「写真集」で鈴木元氏は以下のように語っています。

T.「写真集」「立命館の再生をねがって」から分かること。

@逆流の原因は、理事会の民主化が進まなかった。

 当時、全国的にいくつかの大学において、総長や学部長の選挙に学生も参加する仕組みが作られたり、教授会の民主化が行われた大学もあった。しかし立命館も含めて「理事会の在り方まで議論がなされた大学はほとんどなく、理事会の民主化がすすめられた大学はなかった。これがその後の逆流や変質をもたらす一要因になった。
 立命館大学は、当時他大学に比べ、学校運営が民主的に行われていた。末川総長の指導(「教授会自治では大学の自治は守れない」)で全額協議会(学生自治会代表、院生協議会代表、教職員組合代表等が参加)が学園運営機関として存在していた。
 ところが、部落解放同盟の攻撃(1966〜1967)で、教授会を基礎に選出された学部長理事中心に運営されていた理事会は、一旦屈服した。さらに全共闘の学園封鎖に対しても有効に戦えず、その機能が停止してしまった。
 紛争後、再度立命館民主主義の到達点と、なぜ暴力的な蛮行に対して戦えなかったのかの総括を行い、再度立命館民主主義の確立を図るべきであったが、その再構築ができなかった。

A川本八郎元総長と鈴木元氏は、立命館民主主義を否定し、独裁化を図った。

 「立命館の再生を願って」171PA「参加・参画」で鈴木元氏は以下のように語っている。
 1979年以来、立命館が次々と新しい改革を進められたのも、他大学に先駆けて理事会の下に調査企画室を立ち上げ、全国的動向と立命館の状況を考慮した改革提案を行ってきたからである。こうした調査企画部を持たないで、一般的な教職員の「参加・参画」で全学的な改革などできない。この点では、私は一部の人々と意見を異にする。と書いている。この考え方は先に書いた川本哲学そのものである。

B学内の民主化、教職員や学生の意見を無視した独裁化

 質問に対する答えは、学園闘争で全共闘を学内から一掃した立命館は、末川民主主義を否定し、川本哲学がその指針となった。この実現に当たっては学内の民主主義を崩壊させ、川本八郎元理事長の独裁化が必要であった。それを支えたのが鈴木元氏だと思っている。

U.なぜ学内の民主組織が立ち上がらなかったのか

@鈴木元氏は川本八郎元総長の懐刀になった以降も学内民主組織に影響力を持っていた。

 学園闘争後の学内の様々な組織がすべて共産党の影響下に置かれ、しかも当局派の共産党の人材は、学生運動を支えたスター達であり、学園内に事務職員で採用された共産党員とは「格」の違いがあったのではと思っています。
 「立命館の民主主義を考える会」という機関紙を見ていても、相当批判的な立場には立っていますが、当局との直接対決は避けています。ここには学校内での権力関係が作用し、「権力側」の方針に「民主派」は対抗できなかったのでは思っています。(仕事上不利な扱いを受ける可能性がある)
 鈴木元氏は巧妙で強かな人であるから、学園内の権力構造を分析し、学内で川本八郎元総長・鈴木連合に反対する幹部職員との対抗を行っています。この際彼らは学内の共産党組織をフル回転させ、川本八郎元総長・鈴木連合こそが民主派であり。他は妨害勢力として戦ってきたと思われます。
 学園内に教職員を中心とする民主的組織や学生自治会の組織がありながら、有効な反対運動が行われていません。おそらく、この「民主派の組織」そのものが常に鈴木元氏の支配下に置かれていたと思われます。そのことが分かるのが、「写真集」の巻頭に立命館大学名誉教授 岩井忠熊の推薦文が載っています。  
 小畑氏は学園闘争の当事者で事務職員でもあります。その「写真集」に鈴木元氏が解説を加えています。まさに当局側と教職員の組織の一体化が伺われます。
 

A共産党も川本八郎元総長・鈴木元氏を公然と批判しなかった

 鈴木元氏は、立命館に就職する以前は、共産党京都府常任委員であったが、おそらくその彼を指導できる人材が無く、彼の行為を見逃したのでは思っている。共産党が公然と批判したのは2008年7月29日付赤旗「立命館大学はいま」が(注3)始めてだと思われる。
 鈴木元氏のこれらの本の出版記念集会には、穀田議員も東京から飛んでくるということから考えても、鈴木元氏が立命館で行った大きな誤りを、共産党自身が批判できていないと考えられる。

注3:2008年7月29日付赤旗は、「立命館大学はいま」「教学
  優先へ大学の取り組み」という記事を載せています。(鈴木元氏
  の「立命館の再生を願って」は2012年2月10日です。)お
  そらくこの段階で立命館大学の問題点を共産党が追及し始め、鈴
  木元氏は、自らの主張を前面に打ち出すために、本の出版を考え
  たのではと思っています。    
   この赤旗記事の歯切れの悪さは、立命館大学の問題点を他の一
  般紙の主張をそのまま紹介し、自己責任を曖昧にしている点で
  す。以下引用します。
   この間、「拡大路線ひずみ噴出」(「読売」6月21日)、「改革
  再生へ正念場」(毎日)同29日)、「『学生軽視』背景に」
  (「京都」同21日)など立命館大学で生起した諸問題がいまや社
  会的に大きな注文を集めています。と書いています。
   さらに、この直接のきっかけは「特別転籍」問題です。と書き
  以下の指摘を行っています。
  「学校法人立命館は、入学手続者が定員の1.4倍を超えた生命科学
  部で、新入生に他学部への「特別転籍」を募りました。これにつ
  いては、文部省から、「教育上の合理的な理由があったと判断で
  きず」と指摘され、私立大学等経常補助金25%(約15億円)減額さ
  れる重い処分を受けました。
   さらに「学生軽視に批判」「大学自治の意義」という見出しで
  多くを書いていますが、ここでは省略し、最後の結びだけ以下に
  書きます。
   自民党政治によって「大学の機構改革」がすすめられ、し烈な
  大学間競争が展開されるなかで、立命館大学が教学を優先し、学
  生と教職員が生き生きと発言し、学園運営に誇りを持って参加で
  きる、自治と民主主義の今日的あり方をどう守り発展させるか
  が、改めて注目されています。(これは明らかに鈴木元氏批判で
  す。)